Lunaでは、女性ユーザーの中でご応募いただいた方に、「Luna女性サポーター」として、Lunaでの活動レポートをご提出いただいております。
今回は、Luna女性サポーターの皆様からいただいた、8月分のレポートをお届けします!

もったいない精神
✼••┈┈┈┈┈┈••✼ 🖋嘘麦えて様(兵庫県)(SM属性:スイッチャー) ✼••┈┈┈┈┈┈••✼
和装というと「こう着なければいけない!」という意識が強い服装だと思っていましたが、それは一種の固定概念でそんなこともないのかなと考え始めた嘘麦です。

SMを楽しむ上で固定概念に囚われるのはもったいないという話をさせて頂きたいと思ったのですが、私自身が一番できておらず、課題となっているのでちょっと書きぐるしさを感じながらレポートさせて頂いております。
以前から「Mだから○○でなければいけない」とか「Sは○○であるべき」というような決めつけはいけないということは色々なところで聞きますし、実際、気を付けるべき部分であることは変わりません。

ただ、今、私が課題だと感じているのは、「自分自身の在り方」というような部分です。
「どんな性癖も否定しないように」というルールはもちろんありますが…。
否定されないとはいえ、やっぱりマイナーに感じる性癖だと言わないほうが良いのではないかと考えて隠してしまったり。
(何かをしてもらった際には可愛らしい反応を見せた方が良いのではないか?)
など、自己否定をすることが増えてきて、
「せっかく楽しんでるのに、もったいないよ!」
と言われて、直していければと考えているこの頃なのです。
やはりオーソドックスな性癖や反応、やりとりは失敗が少なく、ローリスクですがリターンも少ないというのが現実だと感じています。

例えば、最近はメッセージ付きいいねをしてくださる方が、増えていると個人的には感じているのですが……
殆ど同じ文章が並んでいて、一目で「これ、名前の部分だけ変えてコピーペーストして全員に送っているのかな……」と思って複雑な気持ちに。

もちろん普通のいいねよりは、やっぱりメッセージ付きのほうが嬉しいです。
それでも、殆ど同じ文章に何通も目を通りしていると、書類選考しているときの面接官の方達もこんな気持ちで志望動機に目を通しているのかなと考えたりしてしまうんですよね。

プロフィールも同じで、挨拶をしっかり書いていたり、不快さというものが少ない自己紹介文がやはり多いわけで、
「これ、さっきも読んだ気がするな……ちゃんと違う人だよね?」
と名前と写真を見に戻ったりしてしまって、面接官の気持ち再び。

有難いことで界隈のイベント等に参加すると色々な方の体験談やお話を聞けることが多く、そうした経験を積むと自分が特殊と感じていたことは全然普通のことなのかと感じさせて頂くことも多かったりして、やっぱり色んな人が自分自身で作った固定概念に囚われているのかなと感じ始めている今月でした。
是非抜け出せそうだという方は少しずつでも抜け出してみては如何でしょうか?
「おまかせ寿司」の楽しさとリスク
✼••┈┈┈┈┈┈••✼ 🖋ゆな様(東京都)(SM属性:M(※subではありません)) ✼••┈┈┈┈┈┈••✼
今回は少し緊縛寄りの話題になりますが、SM全般に通じるテーマだと思います。
Dom/Subにはあまり当てはまらないかも……

安全を第一としてSMや緊縛をする際には、プレイの前に何がNGで何がOKなのかをよく確認しあい、ルールや準備をしっかり整えることが必須だとよく言われるようになりました。
もちろんその通りなのですが、全てを事前に取り決めてしまうと、プレイが予定調和になり、「偶然性」や「余白」が失われてしまう側面もあります。
一方で、そういった偶発性や余白はそのままリスクにもつながります。
互いの認識のズレや見落としから、意図しない不幸や怪我が発生してしまっては、取り返しがつきません。
だからこそ、事前のすり合わせで「余白を残すこと」と「安全を守ること」のバランスをどう取るかが重要なのではないかと思います。

最近、海外出身の方が日本における緊縛を「高級寿司のおまかせ」に例えていたのが印象に残りました。
高級寿司では、客は自分で一品一品を選ぶのではなく、大将に任せて握られる寿司をいただくことがあります。
その「選べない」「予測できない」体験を楽しむことに、日本人らしい文化的背景があるのではないか、という指摘でした。

緊縛の場でも「自分で何をされるかを100%選ぶのではなく、相手に任せたい」と考える人がいるのは、この「おまかせ文化」と通じるところがあるのかもしれません。
もちろん、無責任にすべてを委ねることは、危険であり、一種責任の押し付けとも捉えられる行為だとも思います。
しかし、お互いに全てを決めておかないことのメリットとデメリットを理解し、「どこまで事前に決めておくのか」「どこに余白を残すのか」を話し合える関係性の中であれば、その偶発性は予期しない楽しさにつながるのではないかと思います。
余白はリスクでもあり、楽しさでもある。
その両面を理解しながら、バランスを見つけていくことに、私も取り組んでいこうと思っています。


